東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)274号 判決
一 請求の原因1ないし3の事実については、当事者間に争いがない。
二 そこで、審決を取消すべき事由の存否について判断する。
1 まず、原告は、審決が本件発明の技術的範囲を誤つて理解した旨主張し、本件発明の「特許請求の範囲」の解釈としても、請求の原因4の(1)(一)の項後段記載の(ア)(イ)(ウ)(エ)(オ)のとおり、本件発明における各成分の使用量は、それぞれの添加の目的及び効果に鑑みて自ずから限定され、かつ、本件発明の電解はく離液を適用する基体金属も、「鋼及びステンレス鋼」(ステンレス鋼のみではない。)に限定されたものと解すべきであると主張する。
しかしながら、特許法第三六条第五項は、「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない。」と規定すると共に、同法第七〇条において「特許発明の技術的範囲は、願書に添附した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなければならない。」と規定されていることからも、発明の技術的範囲の判断も特許請求の範囲の記載に基いてされるべきであつて、特許請求の範囲に記載されていない事項は、発明の構成に欠くことができない事項として記載されるべくして記載されていないことについて、合理的な特段の事情の明確でない以上、それがたとい特許請求の範囲を限定すべき事項であつても、当然にこれを発明の構成に欠くことができない事項の一部として付加することは許されないと解すべきである。本件発明の「特許請求の範囲」の記載(請求の原因2「本件発明の要旨」記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。)についてみると、そこには、本件発明の「金属の電解はく離液」を構成する各成分の使用量や基体の材質を限定する記載のないことが明らかである。そして、右事項が記載されるべくして記載されなかつたことについて、合理的な特段の事情が明確に認められないし、また、右の「特許請求の範囲」の記載に基づいて理解すると、本件発明は、はく離液を構成する基本成分自体に特徴があるものと容易に認識でき、原告主張のように各成分の使用量や基体の種類を限定して解釈しないと「特許請求の範囲」が理解できないものでもない。したがつて、原告のこの点の主張は到底採用できない。
なお、以下に言及するとおり、本件発明における各成分の使用量の限定や本件発明のはく離液が対象とすべき基体に関する原告の各主張は、縦し、本件発明の明細書の記載に則して実質的に判断してみても、これを認めることはできない。
(各成分の使用量に関する主張について)
成立につき争いのない甲第二号証の一、二(本件発明の特許公報及びその訂正公報)によれば、本件発明の「発明の詳細な説明」の欄には、「硝酸又はその塩、又は酸化剤の量は、鋼及びステンレス鋼の溶解を阻止するには〇・二五モル/l以上、硝酸イオンを例にとると一五g/l以上を必要とし、好ましい範囲は一八ないし三五g/lである。ハロゲンイオンは、工業的には〇・三モル/l以上が望ましく、塩素イオンを例にとると一〇g/l以上、好ましい範囲は一二ないし三〇g/lである。短鎖のカルボン酸又はヒドロキシカルボン酸は〇・三モル/l以上にあることが望ましく、蟻酸を例にとると一五g/l以上、好ましい範囲は二〇ないし三五g/lである。」(第三欄一四行ないし二五行)との記載の存することが、また、錯化剤及びpH調整剤は、「必要に応じて」添加することが、それぞれ認められる(第二欄五行、六行)。右の記載によつて明らかなとおり、本件発明を構成する主成分である(ア)酸化剤、(イ)ハロゲン化水素又はその塩、並びに(ウ)特定の有機酸又はその塩、の各使用量に関する前記記載は、各成分の望ましい使用範囲を例示的に示したにとどまり、右各記載が臨界的数値を限定したものとも、また、定義的意義を有する記載とも認められない。なお、原告は、錯化剤及びpH調整剤の添加(原告のいう(エ)の要件)も本件発明の構成要件の一つであるごとく主張するが、前記引用に係る「発明の詳細な説明」の記載(「必要に応じて」)及び「特許請求の範囲」の記載に徴しても、この点を発明の構成に欠くことのできない事項とみることはできない。
(対象とする基体についての(オ)の要件に関する主張について)
原告は、本件発明はステンレス鋼基体のみを対象としたものではなく、「鋼及びステンレス鋼の基体上の金属被膜を基体を損ずることなしに電気化学的に溶解除去する電解はく離液」と解すべきであると主張する。
「特許請求の範囲」の記載においては、本件発明の電解はく離液が適用される基体の材質につきこれを限定する記載のないことは前叙のとおりであるところ、前掲甲第二号証の一、二によれば、「発明の詳細な説明」には、本件発明の実施例に関し、「本実験に供した試験片は、いずれも、五×一〇センチメートル、厚さ〇・三ミリメートルの磨鋼板(JIS―C―三・一四四)に、下層に銅一五ミクロン、中間層にニツケル一〇ミクロン、上層にクロム〇・二ミクロンを電気メツキしたものである。これをステンレス鋼(SUS―二七)製のヒツカケにつるして陽極とし、炭素板を陰極として……液温二〇度Cの水溶液中で電解した。」(第四欄三行ないし一〇行)との記載が存するほか、「本発明の目的は……主として鋼(例えば、各種の炭素鋼)及びステンレス鋼(例えば一三クロム鋼、一八クロム八ニツケル鋼)の基体上のニツケル、銅、亜鉛及びクロムなどの被膜を基体を損ずることなしに、電気化学的に溶解除去するはく離液を提供することである。」(第二欄一行ないし一一行)、「ハロゲンイオンのみが存在する水溶液に浸漬した鋼及びステンレス鋼は、ニツケル、銅などと同様に電気化学的に溶解されるが、硝酸イオンなどは、鋼及びステンレス鋼の溶解を防止する作用があり、特に比較的短鎖のモノカルボン酸、ヒドロキシモノカルボン酸は、ステンレス鋼の溶解防止に効果が大である。」(同欄二八行ないし三四行)との記載の存することが認められるから、本件発明の電解はく離液は、基体が鋼であつても、また、ステンレス鋼であつても、何ら支障なく使用できるものであり、かつ、電解はく離液中に鋼とステンレス鋼が同時に浸漬される場合には、特に効果を発揮しうることも充分理解できるところである。そして、前掲甲第二号証の一、二によれば、本件発明の「発明の詳細な説明」の冒頭には、「本発明は、鋼又は不銹鋼を被覆した、ニツケル、銅、亜鉛及びクロムなどを電気化学的に溶解除去するはく離液に関する。」との記載があり、この記載と電解はく離における基体の材質は、鋼又はステンレス鋼であるとの認識が、本件発明の出願前の技術常識であつたこと(この点は、当事者間に争いがない。)とを参酌すると、本件発明の電解はく離液が鋼とステンレス鋼との両方の基体が液中に同時に接触する場合にのみ使用されるものとは、到底解されない。
右のとおりであるから、本件発明の技術的範囲を原告主張のような限定されたものと理解することはできず、取消事由(1)における原告の主張は失当である。
2 次に、原告は、審決が本件発明と各引用例との相違点を看過した旨主張するので、指摘する事項に則して順次検討する。
(一) 用途の差異について
本件発明の「金属の電解はく離液」のなかには、ステンレス鋼用の電解はく離液が包含されていることは前叙のとおりであり、一方、第一引用例及び第二引用例記載の発明が「ステンレス鋼基体からの金属被膜の電解はく離液」に関するものであることは、原告も認めているところであるから、本件発明と各引用例記載の発明との間に原告主張のごとき用途の差異があるとはいえず、原告のこの点の主張は理由がない。
(二) ハロゲン化合物の使用量及び有機酸又はその塩の使用目的の差異について
本件発明においては、ハロゲン化合物の使用量が原告主張のように限定されているものとみることができないことは前叙のとおりであり、かつ、本件発明を構成する右成分の使用目的については、すでに本件発明と各引用例記載の発明とが、ステンレス鋼基体上の金属被膜を電解はく離するとの目的及び組成を同じくする以上、原告指摘の事項をもつて、本件発明と各引用例記載の発明とが別異のものであるとすることはできない。この点の原告の主張は、失当である。
(三) 電流効率の相違について
原告のこの点の主張は、本件発明の実施例と第一引用例及び第二引用例のなかのひとつの実施例とを対比して、電流効率について差異のあることを指摘するものであるが、そもそも、本件発明も各引用例記載の発明も、原告がここで比較している実施例に限定された発明ではないのであるから、たまたまある実施例相互を比較して、両者の電流効率に相違があつたとしても、それのみでは、本件発明における、第一引用例及び第二引用例記載の発明との構成上の差異に基づく効果の差異として、電流効率の相違が生ずるものとすることはできない。
右のとおりであるから、取消事由(2)における原告の主張も理由がない。
3 以上のとおりであるから、審決が、本件発明は第一引用例及び第二引用例記載の発明と同一であるとした判断は正当であり、審決には、原告主張のような違法の点はない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は、これを失当として棄却することとする。
〔編註〕 本件発明の要旨は左のとおりである。
硝酸又はその塩・過酸化水素・二酸化マンガンのごとき酸化剤、ハロゲン化水素又はその塩、及び比較的短鎖のカルボン酸又はヒドロキシカルボン酸又はそれらの塩を含むことを特徴とする、金属の電解はく離液。